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ウワノキカクのキカクメモ

Uwano Takao 広告会社でのストラテジックプランナーの経験を経て、2016年夏に独立。より人の心を動かし、多くの人に届くマーケティングコンセプトの企画と事業のコンサルティングを行う「ウワノキカク」にて事業を展開しています。傍ら、教育関係者の支援事業を行う一般社団法人コアプラスの理事を務める。人を想い、社会のための情熱で行動する人の思いを、事業として継続的に成り立つカタチに変えていくことをお手伝いしています。

協働を促すファシリテーターとしての教員像へ。

退職後、短期間でいろいろなことに首を突っ込んでやってきたけれど、やっぱり自分は教育現場にアプローチしたい人なのだと言うことがよくわかってきた。

 

特に気にしているのが、教員の労働環境に関する課題意識。  

 

ここが日本の教育においては非常に大きなボトルネックになっているように思えてならない。  

 

子どもの学力もメンタル面も、家庭環境における教育格差も、学校の現場がもっとクリエイティブな仕事が出来る場所になれば改善することが多いはず。  

 

そしてそれは、個々の教員の力量や働き方に焦点化される課題ではないし、一方で教育行政の制度的な問題でもないような気がしてきた(いや、後者は時代に合わせて変化させていくべきだけれど、それを待ってはいられないので、出来ることを考えようという姿勢としてそう思っているということですが)。  

 

学校の中にも多様な教育観と立場の教職員がいるし、学校を出たらましてその多様さはとてつもないことになる。  

 

先生という役割が、直接自分が教えることを通じて価値を発揮するのではなく、子どもに関する多様な関係者それぞれの価値観と立場を尊重しながら協働を促すファシリテーター・コーディネーター的な機能に価値の重点を移していくことは考えられないか。  

 

一日の中で一番その子と向き合っている時間が長いのは、親よりも先生だったりする時代。  

 

その先生が、子どもに必要なものを随時判断し、コーディネートしていくことができたら、学びや暮らしの質が変わっていくのではないかと思う。  

 

最近は塾で中学生3人に数学を教えていたりしますが、学びのフェーズが異なる3人を一斉に教えることの効率の悪さはとても強く実感していて、「この子は自習でどんどん進める」「この子には横に立って一緒に考えることをしてあげた方がいい」など、思うことが本当にたくさんある。  

 

「効果的に教える」ということだけを切り出したら、学校の先生も塾の先生も同じクラスのよくできる子も、実はそんなに本質的なところでの差は無いと思っています。  

 

同じクラスの勉強ができる子に教えてもらったほうが頭に入ってくる場合も多々あるじゃないですか。  

 

では、「学校の先生」特有のものはなんだろうと考えると、それは2つあって、「子どもに近い位置に長い時間一緒にいる」ということと、「集団生活の中での子どもを知っている」ということ。  

 

特に、子どもにどれだけ近くても、親は集団生活の中での子どもを日常的に見る立場にないので、子どもの将来的な社会生活を考えると、親と先生の連携は両輪で必須なはず。  

 

その立場を生かして、子どもに必要な学習環境をファシリテーターとして作っていくことができれば。  

 

そんなことを最近はぼんやりと考えています。  

 

では、具体的に事業として何をやるかというのは、いずれまた。  

 

とりとめもない話に付き合ってくださって、ありがとうございます。