ウワノキカクのキカクメモ

Uwano Takao 広告会社でのストラテジックプランナーの経験を経て、2016年夏に独立。より人の心を動かし、多くの人に届くマーケティングコンセプトの企画と事業のコンサルティングを行う「ウワノキカク」にて事業を展開しています。傍ら、教育関係者の支援事業を行う一般社団法人コアプラスの理事を務める。人を想い、社会のための情熱で行動する人の思いを、事業として継続的に成り立つカタチに変えていくことをお手伝いしています。

NPOがイベント型から事業型へと移行するには?

NPO」という生き方


私は学生の頃から教育関係のNPOの事務局運営をはじめ、多くのNPOと言われる組織に向き合って来ました。


いまでも、教育関係者の支援事業を行う非営利型の一般社団法人アプラスで理事をしていますし、また、複数のNPOさんに顔を出させていただきながら、一緒に経営課題の解決に向き合うことに取り組んでいます。


その中で日々感じるのは


「いかにNPOで食べていくことが難しいか」


ということです。


元来、企業が利益を出せないと判断して扱わない領域かつ行政サービスでは対応しきれない社会課題に取り組むことをミッションとするNPOという組織。


企業が手をつけないということは、受益者負担の構造では収益確保が難しいということであり、行政が手をつけないということは、全体から見た優先順位としては課題のレベルが相対的に低いと判断されているということです。


従って、収益性も低く、社会的な共感性も放っておくと相対的に低いままになってしまう領域を対象にしています。




では、なぜそんなところで事業をしようという人間がいるかというと、本質的には


「『その人』にとっては優先順位が高い課題だから」


です。


「その人」とは、一義的にはNPOのサービスの対象になる人ですが、忘れてはいけないのは、事業者そのものにとってもその課題は見過ごすことの出来ない重大なものなのです。


誤解を恐れずいえば、ある側面においてNPOとは


「誰も扱ってくれなかった、私が感じた社会課題」


を解決する組織なのです。


「そんな独りよがりな事業が成り立つものか!」


と思われる方もいるでしょうし、それは事業性という観点からは正しいでしょう。


一方で、このような「ワタシ発」の課題意識で精力的に活動する人が増え、あちこちで小さなコミュニティが多様に生まれることによって、日本という極めて多様性が認められない社会に生きるためのスペースを見つけられる人が増えるということも間違いありません。


成熟しきった日本という社会で、人が自分を失わずに生きていくためには、NPOというあり方が増えていくことに価値があると私は考えています。




NPOの2つの類型


私がこれまで約8年ほど様々なNPOを見て来た経験からすると、大きく以下の2つの類型化が可能であると考えています。

NPOの2つの類型
✓ 価値観イベント型NPO
✓ 課題解決事業型NPO

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▲「課題解決事業型NPO」への移行には様々な課題が生じる


前提として、「私が感じた社会課題」を扱うことがNPO発足の動機として主要なものだと考えると、ほとんどのNPOは「価値観イベント型NPO」から経営をスタートすることになります。


自分たちが理想とする姿を単発的なイベントで表現し、収益性よりは価値観の純粋さ、短時間であれど求める社会の形が現れることを重視しています。


単発的なイベントで力をつけたNPOは、ネクストステージとして「NPOで食っていける」状態を目指し、リソースをフル活用しながら人が雇える状態を目指します(全てのNPOがそうではなく、その形態に留まることを選択することも多々あります)。
事業拡大に成功すると、以降は寄付と事業収益を2つの柱にしながら継続的な事業モデルを確立していきます。



「課題解決事業型NPO」への移行期に生じる2つの壁


課題解決型NPOへの移行期には、大きな2つの壁か立ちはだかります。


1つは、「事業化の壁」です。


NPOには、その取り組み内容に関する専門家は多数いますが、「事業経営」の勘所がわかる人材があまりいません。
いかに広報し、寄付を集め、企画の支援者を拡大していくべきか。


どのように利益を上げ、何に使っていくべきか。


こうした知見がない状態で経営を行うため、フルタイムスタッフの雇用は難しく、「単発のイベント収支を赤字にしない」というマインドでお金を扱います。


いかに経営やマーケティングのわかる人材を確保し、あるいはそうした観点の知識を蓄え、持続可能な事業体へと転身するかが1つ目の壁です。




2つ目の壁は、1つ目のそれよりも致命的かもしれません。


経営やマーケティングの人材は、できる人を協力者に組み入れることができればクリアできますし、企業を退職してフリーランスNPO職員へと働き方を変える人はこれから増える一方です。


2つ目の壁は、組織内部の価値観対立です。


「価値観イベント型」でやっているうちは、規模は小さくても価値観の純粋生の保たれた場を作ることができました。


しかし、事業化を進めると大切にすべき優先順位が変わり、事業者の価値観よりも顧客の価値観を理解し、そのニーズに応えることをしなければなりません。


ここで、内部の葛藤が生じます。


事業化を進めて経営の安定を志向する人間と、それまで取り組んできたことの価値観の優先順位が変わることで「本来の自分たちが大切にしてきたものが失われる」と感じ、抵抗する人とに分かれます。


「規模は小さくてもよいから本当にやりたいことをしたい」という派閥と「事業化をすすめ、人が雇える組織体にしたい」という派閥の価値観対立に陥ります。


徹底した話し合いが行われ、「私たちは何をする団体なのか」を問うことになり、ある場合はよいブレイクスルーに到達しますが、ある場合は信念対立の中で喧嘩別れのように人が離れて入れ替わりが生じます。


苦楽を共にしてきた草創期のメンバーとの別れは辛いものです。


こうした葛藤を幾度か繰り返し、事業化の波にのるNPOと諦めてしまうNPOとに分化し、より明確にこの2つの類型化が強化されます。

どうせ死ぬまで自分と付き合っていくのだから。

どうせ、死ぬまで自分と付き合っていくのだから、好きなことをたくさんやったらいい。
 
 
仕事も勉強も、18歳を超えたら「自分の特性は変わらない」ことを前提に戦い方を組んだ方が努力が継続し、結果に大きな差が出ると考えている。
 
できないことや苦手なことを改善することに取り組むよりも、自然体でストレスなくできることや得意なことを軸に据えて、選択と集中をもって取り組む方がいい。
 
基本的に、Why(価値観や思想、目的意識)のレベル嫌なことはしない。
What(内容)のレベルでどうしてもやらなくてはいけないのなら、より下位のHow(やり方)のレベルで自分が楽しめる工夫をすることに魂を使う。
 
効率的に目的を果たすという観点からはそうやって取り組むことを自分に約束する。
 
 
そして、学びを拡げ・深めていくべき期間においても、自分のやりたいこと・気になることを中心に学びに取り組み、そこから周辺領域に拡げる、そして、ときどき降ってわいたように全く違う領域に虫食い的に飛ぶ方が、効率的に幅広く学べると考えている。
 
モンテッソーリ教育でいう「敏感期」と「自己教育力」、そして心理学でいう「ゾーン」や「フロー」を最重要視する。
 
これは、How(方法論)のレベルの議論ではなく、最上位のWhy(思想)のレベルの話で、学ぶ際の根底にある考え方。
 
反対に、Whyのレベルで外的要因に動機をおく学びを大切にしている場合は、Howのレベルでこの考え方を取り入れてしまうと破綻してしまう恐れがある。
 
結構な可能性で。
 
WhyとHowの指示やメッセージがぶれていると、非言語コミュニケーションがじわじわと学習者に伝わり、学習者自身の信念や価値観が一貫しないものになってしまう。
 
 
結局、仕事も勉強も、周囲を気にせず好きなことに没頭するのが一番。

協働を促すファシリテーターとしての教員像へ。

退職後、短期間でいろいろなことに首を突っ込んでやってきたけれど、やっぱり自分は教育現場にアプローチしたい人なのだと言うことがよくわかってきた。

 

特に気にしているのが、教員の労働環境に関する課題意識。  

 

ここが日本の教育においては非常に大きなボトルネックになっているように思えてならない。  

 

子どもの学力もメンタル面も、家庭環境における教育格差も、学校の現場がもっとクリエイティブな仕事が出来る場所になれば改善することが多いはず。  

 

そしてそれは、個々の教員の力量や働き方に焦点化される課題ではないし、一方で教育行政の制度的な問題でもないような気がしてきた(いや、後者は時代に合わせて変化させていくべきだけれど、それを待ってはいられないので、出来ることを考えようという姿勢としてそう思っているということですが)。  

 

学校の中にも多様な教育観と立場の教職員がいるし、学校を出たらましてその多様さはとてつもないことになる。  

 

先生という役割が、直接自分が教えることを通じて価値を発揮するのではなく、子どもに関する多様な関係者それぞれの価値観と立場を尊重しながら協働を促すファシリテーター・コーディネーター的な機能に価値の重点を移していくことは考えられないか。  

 

一日の中で一番その子と向き合っている時間が長いのは、親よりも先生だったりする時代。  

 

その先生が、子どもに必要なものを随時判断し、コーディネートしていくことができたら、学びや暮らしの質が変わっていくのではないかと思う。  

 

最近は塾で中学生3人に数学を教えていたりしますが、学びのフェーズが異なる3人を一斉に教えることの効率の悪さはとても強く実感していて、「この子は自習でどんどん進める」「この子には横に立って一緒に考えることをしてあげた方がいい」など、思うことが本当にたくさんある。  

 

「効果的に教える」ということだけを切り出したら、学校の先生も塾の先生も同じクラスのよくできる子も、実はそんなに本質的なところでの差は無いと思っています。  

 

同じクラスの勉強ができる子に教えてもらったほうが頭に入ってくる場合も多々あるじゃないですか。  

 

では、「学校の先生」特有のものはなんだろうと考えると、それは2つあって、「子どもに近い位置に長い時間一緒にいる」ということと、「集団生活の中での子どもを知っている」ということ。  

 

特に、子どもにどれだけ近くても、親は集団生活の中での子どもを日常的に見る立場にないので、子どもの将来的な社会生活を考えると、親と先生の連携は両輪で必須なはず。  

 

その立場を生かして、子どもに必要な学習環境をファシリテーターとして作っていくことができれば。  

 

そんなことを最近はぼんやりと考えています。  

 

では、具体的に事業として何をやるかというのは、いずれまた。  

 

とりとめもない話に付き合ってくださって、ありがとうございます。

誰が社会をつくるのか?

これまでは外的基準で行動できる人が社会を作ってきた。
 
学歴社会のヒエラルキーは、与えられた基準の中でいかに効率よくパフォーマンスを発揮させるかが鍵になっていた。
 
いまは、その基準でつくられた社会を土台に、いかに内的基準で行動し、個の価値観を社会に埋め込めるかが鍵になっている。
 
「お前は何がしたいんだ?」
「夢を持て」
 
そんなことを就職の時に言われるのも、個人の価値観、個人の内的基準を大切にした社会の在り方を投影している。
 
でも、それを社会の基準をなす企業や基準を作ってきた人が入っているという時点で、「埋め込まれた」ものでしかない。
 
結局は「それまでの基準をベースに一部修正を施すことでさらなる成長を実現しよう」という形でしかないのではないか。
 
そんなことを考えた上で、「じゃあ自分は何をするか」と問われたら、どう答えますか。
 
自分は何を基準に行動するか。
 
この問い自体がすでに詭弁に近いリードなのですが、基準は常に内側に、そしてその上で未来を予測しながら生きていくのがフリーのひとには必要な目だなあと思う朝でした。

人や場の潜在価値を引き出すファシリテーターの役割とスキル

今日は教員志望の学生のための、現役教員との対話イベントを実施しました。

 

私は、全体のパネルトークを進行するファシリテーターとして登壇。

 

先生方から「本人も気づいていなかったような本音の声」を引き出すのが役割。

 

久々にファシリテーターをやりましたが、「ああ、こういう形で話を引き出して行くのは楽しいな…」と思い、そこに思想的・技術的なこだわりもあるので、ちょっと記事に書きたくなり筆を執りました。

 

 

 

この「ファシリテーター」という役割は、同じ言葉でもイメージしているものが人によって全く違うものの代表例みたいな言葉ですが、僕が考えるファシリテーターとは「その人、その場の潜在価値を最大限表出させる機能を果たす人」です。

 

当然、ただ円滑に対話を進行させていくだけの司会役ではありません。

 

「問いかけ」という技を通じて、本人すら気づいていない、あるいは言語化できていない、より本質的な「思い」「動機」「目的」「感情」「行動や思考の前提」などを引き出していくのが仕事。

 

形式は様々で

 

◎「インタビュー」という「一対一」の形式
◎「パネルディスカッション(のコーディネーター)」という「一対数名」の形式
◎「非構成型ワークショップ」という「一対多」の形式

 

など、いろいろな形でその人・その場の最も深い潜在的な意思を表に引っ張り出してくることに挑戦します。

 

 

 

そのときに意識的に使っているスキルは、大きく2つ。

 

「傾聴」「考えてしまう質問」です。

 

 

 

「傾聴」とは、読んで字のごとく、しっかりと耳を傾けて聞くことです。

 

ポイントは1つ。

 

仮説のフィルターを持って聞く、です。

 

その方の個人的な経験に対して、「一般的にはどの様に考えられるか」「自分ならどう考えるか」といった「一般化のフィルター」、または、「自分のフィルター」を通して聞くことによって、話者の独自の考え方や感じ方、行動パターンを分析しながら聞いていきます

 

そうすることによって、本人も自覚していなかった自分の独自性への気づきを与え、なぜ自分はそうした独自の在り方をしているのかを考えるように導きます。

 

 

 

もう一つのスキル「考えてしまう質問」は「傾聴」と深く関連しますが、「ああ…そんなことは考えたことはなかったけれど、言われてみると確かに大切なことだな…うーん。。」と、質問された側が考え込んでしまう質問をあえてするようにしています。

 

これは具体的な問いを見たほうがわかりやすいので一例を挙げると…

 

なぜそのようなことをしようと考えたのですか?」
他の人がしないのに、あなたがそうしたのはなぜだと考えますか?」
「一般的には○○と思われることが多いように感じますが、一般的な立場と異なるあなたにある前提は何でしょうか?」
あえて重要なことを3つあげるとしたら、どの様なポイントがありますか?」
「重要だとおっしゃる〜をもししなかったとしたら、結果はどの様に変わりますか?」

というような質問をするようにしています。

 

こうした質問をすると、話者は「そんなこと考えたことはないけど、うーん…」とうなりながらも自身の直観にアクセスし、自分の思考・行動のより本質的な部分から言葉を紡いでくれます

 

それらの言葉は本人も初めて話すことの場合が多いので、その解釈についてはファシリテーターとして、一緒になってより理解しやすい形に言語化する作業をお手伝いします。

 

 

 

ちなみに今日のイベントでは…

 

A「〜を実現するために具体的にどの様なことをしていますか?」

話者「○○ということをしています。」

Uwapon「もし○○ということをしなかったときを考えると、その相手はした時としなかったときでどの様に違いを見せてくれますか?」

話者「○○をしても変わる人と変わらない人がいるので−−。」

 

というシーンがありました。

 

ここでは、話者が重要にしている価値観を実現するために「○○」ということを実際に意識してやっているということが話の中で出てきましたが、「もしそれをしなかった場合には結果がどの様に違ってくるか?」という「考えてしまう質問」を投げかけました。

 

すると何が起こったかというと、話者いわく「『○○』という具体的な取り組みをするだけでは本質的な変化を起こすことができないと感じているので、どの様なことをすれば狙った変化が起こせるのかはまだまだ研究しなければならないと思っている。ただ、大切にしたいのは『✕✕』なので、そこだけは忘れないように行動している。」という、「○○」より更に重要な「✕✕」という考え方が出てきました

 

これが「考えてしまう質問」の力です。

 

本人も自覚していなかった、より深いレベルで大切にしている概念を導くことができました。

 

こうした発言があちこちで繰り返されると、対話の質は急速に深まっていきます。

 

 

 

冒頭の繰り返しになりますが、「ファシリテーション」で私が大切にしているのは「人と場の潜在価値を表出させる」ということです。

 

その人、その場が気づいていないより深いレベル普遍的な価値を引き出すことを通じて、あるときは学びを高め、あるときは対立を解消します。

 

そのようなファシリテーターを生み出していくことも、今後の課題だと考えています。