ウワノキカクのキカクメモ

Uwano Takao 広告会社でのストラテジックプランナーの経験を経て、2016年夏に独立。より人の心を動かし、多くの人に届くマーケティングコンセプトの企画と事業のコンサルティングを行う「ウワノキカク」にて事業を展開しています。傍ら、教育関係者の支援事業を行う一般社団法人コアプラスの理事を務める。人を想い、社会のための情熱で行動する人の思いを、事業として継続的に成り立つカタチに変えていくことをお手伝いしています。

新卒で入った広告会社を辞めて1年が経った│ウワノキカクの課題意識と取り組み

2016年7月末に、新卒で入った電通を退職し、8月から個人事業主コンサルタントとして事業を行ってきました。
 
企画事務所ウワノキカクは、関西圏の中小企業や個人経営者の方を対象としたビジネスコンサルティングを行っていますが、どの様な課題意識でどの様なコンサルティングを行っているのかについてはあまり表にしていませんでしたので、一度概要をお伝えしたいと思います。
 

ウワノキカクの課題意識と取り組み

変化を生み出すための必須3要素

「変化を生み出すためには何が必要か?」
 
これは昔からずっと考えていることですが、今の自分としては…
 
・変化を起こすことに対する「情熱」
・変化を起こすための方法としての「企画」
・必要な人に届けるための「表現」
 
の3つが必要な要素だと思っています。
 
人間は変化を拒むものなので、その拒絶を乗り越えてまで何かを生み出すためには、抵抗に負けない「情熱」が要る。
 
情熱だけでは変化は起きないので、「どの様に変化を起こすのか?」という問いに対する答えとしての「企画」が要る。
 
いい企画、いいアイデアがあれば十分かというとそうではなく、企画の意義や魅力を関係者に伝え拡げていくための「表現」が要る。
 
もちろん、きれいに分けられないところはありますが、大きくはこの3つの要素を見ていくことで、考えるべきポイントが整理されます。

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学生時代に多く見てきたパターン

学生時代には、NPO法人ROJEの関西学生事務局をはじめとして、教育をテーマに掲げながら様々な企画に携わり、様々な人に出会ってきました。
 
その中で日々感じていたのは、
 
「こんなに魅力的な人が、なぜ社会に評価されていないのか?」
「こんなにおもしろいことをやっているのに、なぜ生活が苦しいのか?」
「こんなに必要とされることをやっているのに、なぜ必要としている人が集まっていないのか?」
 
というギモンです。
 
面白いことを考えている人はたくさんいる。
 
言っているだけではなく、やっている人もたくさんいる。
 
でも、その人の周りで社会がよくなっている感じがあまりしないのはどうしてだろう。
 
思いがあれば、通じる。
 
純粋にそう思っていたときもありましたが、段々とそうではないことに気づきはじめていました。
 
 
 
そして、大学3回生で就活をするくらいになると、自分の中の課題意識として「思いをもって社会のためになることをやっている人が、それをやりながら食っていけないのはおかしいし、もったいない!」と明確に言葉にするようになっていきました。
 
そのときの分析が
 
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「情熱」はあっても、具体的に誰のために何をやっているかという「企画」がニーズに合致していないといけないし、そうであっても更に「表現」という拡げる工夫をしなければならない。
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という今の理解の骨子です。
 
この仮説を手に入れてから、「自分は教育の専門家ではなく、『教育の専門家が生きていけるようにする人』になる」と決め、外資のコンサルファームや広告会社に就職することにし、電通に入社しました。

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こんな社会はもったいない

電通に入社してから見た世界は、自分の仮説をより強固にするものでした。
 
それがまさにスライドのような世界なのですが、事業に対する思いをどれだけ強くもっていても、周囲のひとを動かすものになっていないと影響力をもつことができない。
 
逆に、思いはそれほどなくても、コミュニケーションにロスがなければ、適切に人を動かすことはできる。
 
 
 
そこで、分析のフレームを発展させ
 
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「情熱」は、エネルギーとして絶対値で考える。
「企画」と「表現」は、その伝達率を表す%で置き換える。
---
 
とすることにしました。
 
 
 
こう理解すると、世の中がよく見えてきます。
 
情熱エネルギーが100あっても、企画力で50%削ぎ落とされ、表現力で10%の力しか発揮できないと、影響力は5しかもてません。
 
しかし、企画力と表現力をマックスまであげることができれば、10の情熱エネルギーで10の影響力をもつことができます。
 
情熱エネルギーが10倍あっても、要領のいい人の半分しか影響力がないのです。
 
これが、人生がイージーモードになるかハードモードになるかの分かれ目かもしれない。
 
影響力のエネルギー効率で20倍の差があれば、収入や社会的地位も当然それだけの差が出る。
 
というか、企画力・表現力は、20倍の差どころの話ではない気がするぞ…。
 
 
 
社会に対する、人の抱える課題に対する、ひたむきな思いだけでは、この社会を快適に生きていくことはできないのです。
 
それは1つの側面として真実だとして受け入れますが、…本当にそれでいいのか?
 
本当に社会にいい影響を与えたいと思っている人が、志半ばで諦めていくことを甘受してしまっていいのか?
 
それは、自分には、できない。
 
その思いが年々募っていき、気づいたら昨年夏に会社を辞めていました。
 
企画や表現の力は、大企業よりも小さな事業者や仕掛け人にこそ必要な能力だ。
 
草の根の革命者たちがそうした力を持ったほうが、社会はもっと魅力的な、生きやすいものになる。

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ウワノキカクにできること

ということで、独立してからというもの、中小企業や個人経営者の方を対象に、ビジネスコンサルティングという形で事業に取り組んで来ました。
 
やっていることは「企画」と「表現」のサポートです。
 
そこだけで勝負すれば、僕よりも優秀な人は社会にあふれていますが、僕の場合、クライアントの情熱の源にある課題認識や思想を理解すること、苦しみや喜びに共感し、同じ思いをもって取り組めることを一つのリソースとしてやっています。
 
ですので、「情熱」がない人、自分には感じられない・理解できない人や企業はクライアントにはしていませんし、できません(実際に魂を売ってお金だけで案件をとったこともありましたが、うまくいきませんでした)。
 
いまは、事業者として強い思いをもって社会変革に取り組んでおり、独自の視点で切り込んでいこうとしている人と仕事をしています。
 
 
 
逆にいうと、できないことは、「情熱」の絶対値を高めることです。
 
そこは本人の神聖な領域として尊重し、いい意味で分業しながら、僕はその人の思いが社会に乗っていくことのみに集中する。
 
そういった形で仕事をさせてもらっています。
 
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ウワノキカクの成果物

コンサルティング」というのは、正直自分でも思いますが、何をやっているのか、どんな結果が生まれるのかがわかりづらいし、やってみないと評価しづらい仕事です。
 
まだまだ明確になっていないなあと思いますが、いまの仕事の具体的な成果物としては
 
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▼「企画」 
● 調査・分析しターゲットインサイトを資料化する
● 思いとこだわりがあふれる事業や企画を設計する
● 変化にむけた継続的な壁打ち議論の場を設ける
 
▼「表現」
● 人を巻き込むための、思いが伝わる企画書・プレゼンスライドをつくる
● 人を動かすための各種表現物をつくる
 例:Webサイト・社内資料フォーマット・会社案内・チラシ・社内掲示物等
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というものを提出しています。

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こんな社会を目指します!

こうした取り組みを通じて、情熱エネルギーが効率よく社会に伝わり、よい影響力をもっていくことを目指しています。
 
まずは自分の実力を高めるためにも、一件ずつのコンサルティングという形で仕事をしていますが、将来的には、自分自身の影響力ももっと効率よく高めていきたいと考えています。
 
 
 
その人が心奪われて仕方ない、人や社会への課題意識を責任を持って突き詰める営みの先に、いまより豊かで幸せな社会がうまれる。
 
やはり、社会という1つの文脈の中には、思想家タイプの人もいれば事業化タイプの人もいますし、リーダータイプの人もいればフォロワータイプの人もいます。
 
得意な在り方で人に貢献し、支え合いながら生きていくことが、理想とする社会の根本原理です。
 
まだまだ「じゃあ、具体的には?」のところには怪しさが伴いますが、自分自身も経験を積み、できることをコツコツと増やしていきます。
  
面白くて幸せな社会をつくっていきましょう。
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投影と自尊感情がSNSへの苦手意識を生む

先日、facebookでこんな記事が流れてきました。
 
lite.blogos.com

 


ここで言われていることについて思うのは…

①全てのエッセイは自慢であるという井上ひさし氏の指摘は至言で、上記の文章もまさに「世の中の事象をこんな風にうまく捉えることが私にはできますよ」という自慢に他ならない。
 

SNSの投稿を自慢であると捉えることは誤っていない。
多かれ少なかれ「良い体験や気づきを得たから共有したい」という気持ちには自慢も含まれているといえるだろう。

 
③ただし、過度に「自慢だ」と感じ、自分が投稿すらできなくなってしまう心理には、投影と低い自尊感情が読み取れる。
「仕事で自慢ばかりしている自分を、SNSの投稿で特定少数の人に知られることは、『あの人はまた自慢している』と揶揄される機会を生むだけではないか」と感じているのだと思うが、それは自分の認知フレームが生むバイアスの投影であり、知られることを恐れる自尊感情の低さの現れである。

 
 
「恥の感情なんかすててSNSやろうぜ!」と言いたいわけではありません。


勿論、著者の方のメンタリティを批判したいわけでもありません(多かれ少なかれみんな一緒だと思っています)。




言いたいことは、「やっぱり日本人は過度な投影と低い自尊感情に悩まされているんだなあ」と再確認したということ。


「こんなことしたら(言ったら)こんなふうに思われてしまうのではないか?」


という思い込みの認知がある限り、「横並び」の社会の在り方は変わらないだろう。


こうした認知をより生きやすい方向に、事業活動を通じて少しずつ変えていくということを、進めていく。

何のために知識を増やす学びを行うのか?

Q.何のために知識を増やす学びを行うのか?
 
 
A.「主体性」を取り戻すため。

 

「知識」は人を幸せにしない

知識を増やすことは、それ自体に良いも悪いもないと思っていて、知識魔神のような人の中には、とても幸福そうな人からとても不幸そうな人まで、かなりのバリエーションがあるように見受けられます。
 
つまり、知識を増やすことそれ自体は、幸せな人生とは直接に因果関係や相関関係を持たないと思っています。
 
 

それでもなお日々新しい知識を取り入れるのは、知識を取り入れることによって、自分の人生を主体的に意思決定できる領域が拡大していくと信じているから。
 
そもそも、人間の脳は環境のすべてを情報処理しているわけではなく、かなり恣意的に情報の取捨選択、カテゴライズ、意味付けをしています。
 
友人と一緒に映画を観ても全く違う感想をもち、全く違う点に気づいているのも、2人の脳では違う情報処理がなされているから。
 
いまでも覚えていますが、『ハリーポッターと賢者の石』を読んだときに、自分は「ハリーはあんなに大きな決断ができるハリーはすばらしい!」と感じましたが、ある友人は「多少嫌なところがあるとは言え、あんな形でお世話になった家から飛び出すのはちょっと信じられない」と言っていたのは印象的でした。
 
こうした違いが生じるのも、まさに見えているものが違い、それをどう意味づけるかというシステムが異なっていたからです。
 
 
 
 

認知の情報処理システムはどう作られるのか

情報処理のシステムは、その瞬間の脳のコンディションで決まります。
 
1つは、それまでに得た経験を統合し、「こういうときはこう反応する」という仕組みが形成されていて、それに従って処理されるということ。
 
いつも自分を褒めてくれる先生を見れば、とても満たされた嬉しい気持ちになったりするのは、「その先生=いいもの」という認知が過去の経験で形成されているから。
 
もう1つは、その時の感情的な状態で、GoodなテンションのときはものごとがすべからくGoodに見え、BadなテンションのときにはBadに見えてしまうということ。
 
幸福度や不幸度(という言い方はしないか)は正のフィードバックループを描き、幸福な人には更なる幸福が、不幸な人には更なる不幸が舞い込んでくるのもこういうことですね。
 
いずれにせよ、脳の認知は「過去」と「現在」が形成します。
 ※実は、この文脈で「未来」がかなり重要な要素であるという話もありますが、ここでは一旦は横においておきます。
 
 

人間が「過去」と「現在」で認知を形成しているということは、言い換えれば、かなり意識的に情報獲得や経験をしないと、無意識的に他者に自分の人生を統御されてしまうということになります。
 
他者に与えられた情報を鵜呑みにし、他者に感情的な体験を強く植え付けられてしまうと、それを土台にしながら自分の認知のシステムを他者に作られてしまうということに繋がります。
 
そうなると「あれ、自分って本当にそんなこと思ってたんだっけ?」「自分で選んだ気がするけれど、本当はあまりこういうのは好きじゃないかもしれないな…」といったことが生じてきます。
 
その違和感は無意識が自分にアラートを鳴らしてくれているということなので決して無碍にしてはいけない感覚だと思っています。
 
どこか、主体的に物事を判断できていないときに内側から生まれてくる大切な「声」です。
 
 
 
 

「知識」は私たちに何をもたらしてくれるのか

しかし、自分の過去の体験を変えることは人間にはできませんので、どうすれば本当の意味で主体的に人生を意思決定できる状態に近づけるのでしょうか?
 
その助けとなるのが「知識」です。
 
知識情報は、自分の脳にある認知を形成する概念的なベースになるので、既に獲得されている知識に基づいてすべての認知のシステムが作られています。
 
勿論それは、「知っていることしか見えない」ということではなく、むしろ「知っていることで知らないものが見える」ということです(→「無知の知」)。
 
脳内の情報処理のシステムが書き換わっていくための1つの重要な要素は、脳に新しい情報を取り込み、自分の認知や情動の在り方、意味付けを変えていくことをするということになります。
 
 

そこで気になるのが、「知識って、結局は誰かが既に形式化したものでしょ?ということは、結局それも含めて他者にコントロールされるということでしかないんじゃない?」という問いが生まれるところです。
 
確かに、知識としてアクセスできる情報の99.99999…%は他者が既に加工した情報です。
 
しかし、より大切なのは「知識を組み合わせてどのような認知構造を作るか」というところです。
 
2人の人間がそれぞれ全く同じ100の情報をもっていたとしても、それらの組み合わせとして生み出される情報処理の在り方が同じであるわけではありません。
 
過去に入ってきた順番や体験に紐づく意味付けの重さなどによって、全く違う認知のシステムを作り上げます。
 
そこに、自分の独自性と主体性が生まれる余地があります。
 
なるべく他者がパッケージ化した情報を排除し、オリジナルな組み合わせを作り、物事の見方を変えていく。
 
そうした営みの先に、主体的な自己決定に向けた選択のベースが作られていきます。
 
 

「知識」の有効活用には組み合わせのオリジナリティが必要

こうした理解を前提に考えれば、新しい知識の獲得という学びには「現状より幾ばくかでも主体的に意思決定できる余地を拡大する」という意義が見いだせます。
 
ではなぜ知識魔神が必ず幸福ではないかというと、そこには「自分がどうなりたいのか」という未来に向けた意思決定がなされていないから、たくさんの知識の意味づけをすべて外部化し、主体的な意思決定ができない状態を維持してしまっているからです。
 
大切なのは、情報の組み合わせのオリジナリティを確立することです。
 


そのオリジナリティを作るために必要なことが2つあります。
 
1つは、ときどきランダムな情報獲得の機会を設けておくこと。
 
2つめは、「未来」に明確なゴールを設定すること。
 
自分の興味関心の先にあること「だけ」を学んでいると、そこにはその情報獲得のプロセスも既に誰かが敷いたレールの上であることも多々あります。
 
そうならないためには、ときどきでかまわないので、全く関心のない情報にもオープンな状態を作り、しっかりとその情報を取り込む努力がとても有効です。
 
そして更に、先ほど横においておいた「未来」を自分の意思で措定し、そこからのフィードバックを得ながら情報の組み合わせの在り方を再検討することが重要です。
 
だからこそ、私たちは「ゴール」というものを設定します。
 
 
 
「ゴールの設定」というテーマはまた改めて扱うとして、「知識を獲得する」という営みが究極的に目指すものが何であるのかを理解しておくことで、知識を獲得することの意義にリアリティが持てますし、更には知識魔神になること自体には意味がないということも判断できます。
 
いま自分に必要な学びを選択するためにも、ぜひ参考になればと思います。
 

コンサルタントとしてのプライド。中小企業・NPOのビジネスやマーケティングのポイントを探る。

いい商品・サービスを作っている人との対話を繰り返していると見えてくるのが、「わかりやすくすること」「シンプルにすること」への抵抗感がとても強いということ。
 
わかりやすく表現することで、低俗なものに見えたり、意図したものと違う様に受け取られたりすることが生じるのではないかということを嫌う。
 
シンプルにすることで、自分たちのこだわりや想いが伝わらないのではないかと感じ、そこにもったいなさや恐れを抱く。
 


とてもとてもとてもわかる。
 


でも、”ビジネス”は「エゴorゴール」だとも思う。
 
エゴを通すことでゴールから遠ざかる。
 
ゴールに至ろうと思うとエゴを手放すところからスタートしなければならない。
 
”ビジネス”という文脈だけに限れば、多くの場合、エゴとゴールが矛盾する。
 
「自分がこだわってやりたいこと」と「売上が上がること」は全然違ったりする。
 
「なんでこんなモノがたくさん売れるんだ?」と思うことがすごく多いけれど、ビジネスの現場で成功しているのはまさにそういうものだという1つの事実は事実として受け入れる必要がある。
 
しょーもない情報商材や怪しいダイエットサプリみたいなものがよく売れるこの世界には辟易する。
 
辟易するけれど、事実はそうだということから議論を始める。
 
人を結果的に幸せにしない商品やサービスなんて駆逐されてほしいと思っているし、人のコンプレックスや感情を煽ってでもお金を稼ごうとする「売り方」も嫌いだけれど、それが結果を出しているということをまずは事実として受け入れる。


 
いま自分が絶対に大切にしたいのは、エゴとゴールが両立するポイントを考え抜いて見抜いて形にしていくこと。
 
人や社会のために、ある意味職人的にこだわって作り込んでいる人の想いをベースに、その想いが絶対に失われないことを前提に、最大限多くの人に、必要としている人に届けられるようにするにはどうするのがいいのかということを、毎日考えている。
 
このあたりは、全然自分の中でもやり方が確立できていなくて、日々模索しながらやっているけれど、自分がコンサルタントとして大切にしたいところ、立脚したいところがどこなのかは、絶対に守り抜いてやり遂げていく。

目に見えないものを追い求めるところに高い成果が訪れるのか?

経営にせよ、マーケティングにせよ、「改善」が今見えている要素にばかり集中してしまうのはなぜだろうか。

本当は、いま感知出来ていない要素の方に、より大きなドライバーが潜んでいるのかもしれない。

しかし、人は簡単に想定しうる要素をより適切な形にすることに意識を向けることが癖になっている。

「いま見えていないものの方に本質があるのかもしれない」と思い続けること、そして、「何が最も大きな影響を与える変数なのか」を考え続けることに意識を向ける。

そんなことを日々痛感しながら、コンサルタントとして仕事をしています。

 

 

「商品(サービス)の価値は高いのに、それが伝わらないのが課題です。」

 

そういってマーケティングの相談をしてくださる方がいます。

 

しかし、それは多くの場合間違いです。

 

人は、知覚できない価値は価値だと捉えません。

 

どれだけ頑張っても、その努力や工夫を見てくれない人にはその価値は伝えられないのです。

 

職人的に商品やサービスにこだわりをもっていたとしても、それが世の中の人にとって「自分の課題」を解決するものでなければ、決してお金はだしません。

 

「偉大なる専門家」である自分から見えている範囲で改善を繰り返しても、それがターゲットとしている顧客から見えていなければ、その点に価値を感じてお金を払ってくれる人はいません。

 

タクシーの運転手さんが「今日の気温に合わせて、最適な温度設定で空調を効かせよう」と心がけていても、伝えなければ当然伝わりませんね(伝えたとしてもお金が動くかは怪しいのは、そこに強いニーズがないと思われるからです)。

 

大切なのは、お客さんが知覚できる範囲内でサービスを構成しながら、かつ、お客さんにとって意味のある変化を起こすことです。

 

「そんな無茶な」と思うかもしれませんが、世の中で長続きしているサービスは、顧客がその価値を説明できるものばかりです。

 

そういった観点から、特に起業初心者の方にとっては、商品やサービスをブラッシュアップできるかどうかが極めて重要な要素になります。

 

 

この考え方は、「タイトルとは矛盾するのでは?」と思う方がいらっしゃるかもしれません。

 

問題は、本質の在り処がどこにあるかです。

 

マーケティングにおいて極めて重要なファクターは、「顧客が知覚できる範囲の価値を高めること」です。

 

しかし、多くの専門家的な方は、顧客が知覚できないレベルにまでこだわりをもってしまいます。

 

自己満足でビジネスをするならそれでもいいのですが、売り上げを適性に上げるには、「顧客が知覚できる範囲で価値を高めること」が大切です。

 

こういったことが「見えていない」方は、マーケティングの企画段階において、「自分にだけ見えているもの」にフォーカスをあててしまいます。

 

果たしてそれが、「顧客から見えているものかどうか」を今一度考えてみましょう。